FC2ブログ
2018/11/10 (Sat) 緑の風船 六首


<緑の風船 六首>

平成30112

屋 繁男

 

1、風船は孫の手を離れ大空へ

  この大きなる喪失体験

 

2、店先のおばさんが言う「ま、かわいそ」

  孫は喪失の大きさにとまどう

 

3、母ちゃんにも爺々にさえも風船は

  取り戻せない飛べないのだよ

 

4、この世にはどうしようもないことがある

  戻ってこない空ゆく風船

 

5、「風船は飛んでいったなあ」いつまでも

  くり返し言う まだ二歳半

 

6、飛んでゆく風船のあること、まさに今

孫は知り泣けり 爺々も泣けり

平成30112日真昼 

天下一祭 一橋大学西正門付近にて

スポンサーサイト

未分類 | trackback(0) | comment(0) |


2018/09/29 (Sat) 平成30年10月29日(月)第31回ライブ『<屋繁男詩と歌曲を唄う>「日本抒情歌を唄う」』を行います。

平成30年1029日(月)1900より31回ライブ『<屋繁男詩と歌曲を唄う>「日本抒情歌を唄う」』行います
縮小 第31回 東京ライブチラシ 

未分類 | trackback(0) | comment(0) |


2018/09/07 (Fri) 写真掲載

ゴン 戦場ヶ原

未分類 | trackback(0) | comment(0) |


2018/07/12 (Thu) W杯日本代表熱戦後の道頓堀における祝祭時空間(ダイビング)の成立を喜ぶ

W杯日本代表熱戦後の道頓堀における祝祭時空間(ダイビング)の成立を喜ぶ

平成3076

屋 繁男

 

1、現代における祝祭空間の必要性(あまりにもそういう空間がない)

 祭りでは時には人が亡くなる。例えば岸和田のだんじりや諏訪の御柱祭等がそうであるが、それがために中止になったとは聞かない。ということは、ごく少数の犠牲者が出たとしても、このような祝祭空間が継続されなければならないと人々が思っているからに他ならない。

 現代の日本人特に若者たちが日本人全体として祝祭の時間と空間を共有できるのは、日本代表が勝利したり善戦したりした時に行われる渋谷交差点のハイタッチによる大騒ぎと道頓堀での飛び込みぐらいしかないのだ。

 交差点でのハイタッチの騒動に比べて飛び込みには危険がつきまとうが、御柱祭の逆落としに比べればそれ程のものでもなさそうだ。

 問題はこのような祝祭的時空間というものがいかに必要なのかということがマスコミをはじめとして語られていないということなのだ。アニメをはじめとした日本文化が海外で受け入れられていることは周知のことである。ところで、ディズニーアニメは日本のアニメの衝撃力に及ばない。唐突に思われる読者もおられるだろうからその理由を一言でいえば、M. フーコーも言うように近代ヒューマニズムというものが、もはや思想的には終了しているにもかかわらずそれにほとんど依拠しているからだと言っておこう。

アニメとは一口で言えば現実の虚構ないしはその拡大のようなものと言える。そのようなアニメイトする能力に優れた日本文化が、現実の世界での身体に課する虚構とその拡大ともいえる祝祭時空間に共通の思想や論理を持っていないとすれば悲しむべきことである。

 やりたいとか若者にやらしてやれとかいうことや提案する人々なら沢山おり、それが現実に道頓堀川にかかる戎橋上で行われていることにつながっているのであろう。しかし、問題はそのことを多少なりとも共通の意識(サッカーではコンセプトという)を作り思想化するということなのである。

 さて社会的なダイビングとして有名なものにボスニア・ヘルツェゴビナの都市モスタルにある16世紀の橋で市内を分けているネレトヴァ川に架かっているスタリ・モスト(Stari Most「古い橋」)という橋がある。紆余曲折を経て世界遺産に登録された橋からは定期的にダイビング大会が1664年以来催されている。道頓堀の近くにある高津の宮は古事記にも語られ歌われており、4世紀の都である。古代遣隋・唐使の出た御津の浜辺も近くにある。若者が身を挺して飛び込むにはそれこそ物語やゲーム的データーの素材にも満ちた場所であり、値打ちのあるところなのである。我々が教えていないにもかかわらず孫や曾孫はそのことを知っているのである。

ところで戦後、国家的な祝日として残ったのは天皇誕生日、その後違った名称で再生した建国記念の日くらいで、他はほとんどGHQの政策でなくなった。しかし道頓堀は戎橋上では寺社等の伝統的な祭とは違った新しい祭とその時空がすでに30年位前から生まれている。行政の側はこれらの祝祭に監視の側にいるだけで、居合わせた若い市民たちが実行している。結果としてサッカー日本代表の試合結果を祝って行われる祝祭時空間である以上、国民的な祝祭と言ってよい。そのような祝祭の時空間の誕生は若者たちはもちろん吾々中高年者も心より歓迎するところと言えよう

 

2、具体的妥当な方法

行政や警察が管理すると面白くなくなるので、市民にその管理をまかせるべきであろう。近所住民の迷惑を理由に、このような祝祭時空間をなくそうとする動きもあるが、道頓堀や渋谷交差点はそのようなものとしても国民市民に選ばれたのであり、さらに言えば日頃近隣の商店街は人々の集中により利益を得ているのであり、4年に一度程度のことであるなら甘受すべきである。飛び込みではなく、橋の上で大人数でジャンプするのは市の当局者も述べているように崩壊の危険もあるので止めさせるべきだし、もちろん暴動や犯罪のようなことがあれば取り締まるのは当然である。

 道頓堀には10年ほど前プールを作る案があった。戦前道頓堀で子供たちが泳いでいたことがあったからだ。このような計画が現代大阪は南の繁華街で実現できるか少し難しい問題もあるだろう。しかし何年かに一度の祝祭による飛び込みは若者たちにとっては、言ってみれば必要な行為なのではなかろうか。

 現代では現実的にはいけないことであるけれども、行政等が見逃して飛び込み行為は行われている。行政のお墨付きまではまだ当然ない。それは良いことでもある。けだし行政指導になると、何かれと規制され祝祭空間の楽しさが半減してしまう。そこで道頓堀の場合、大阪市は道の岸に水道の蛇口、水飲み場を平時にも置いておくことによって飛び込んだ人が体を洗うことができるようにすること、もう一つは堀から岸に上がるためにはコンクリートの壁に梯子を作っておくことが必要であろう。この梯子は飛び込んだ人のためだけではなく平時にも何等かの事情で川に落ちた人に利用可能だからである。

 論者によっては小さなシャワールームを作れとか、飛び込み台を作れとか言う人もおられるが、前者のシャワールームはともかく、飛び込むためのわずかの立ち位置を確保できる張り出した部分があればなおよいかもしれない。後は、市民が判断してくれということで充分であろう。

未分類 | trackback(0) | comment(0) |


2018/04/30 (Mon) 平成30年5月30日(水)に、第30回記念ライブ『<屋繁男詩と歌曲を唄う>「日本抒情歌を唄う」』を西荻窪の「音や金時」で行います。

平成30年5月30日(水)に、第30回記念ライブ『<屋繁男 詩と歌曲を唄う>「日本抒情歌を唄う」』西荻窪の「音や金時」で行います。


縮小 第30回 東京ライブ チラシ

未分類 | trackback(0) | comment(0) |


| TOP | next >>

プロフィール

shiropapa1111

Author:shiropapa1111
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード