2018/02/03 (Sat) <高校サッカーマンが作ったささやかな日本サッカー神話>-「大迫半端ないって」発言について-




<高校サッカーマンが作った
   ささやかな日本サッカー神話>

ー「大迫半端ないって」発言についてー

                           平成3018

屋 繁男

 

滝川第二高校の中西隆裕キャプテン(87回全国高校サッカー大会20091月)

大迫半端ないって、あいつ半端ないって

後ろ向きのボールめっちゃトラップするもん

そんなんできひんやん普通、そんなの出来る?

言っといてや、できるんやったら

新聞や、全部新聞や、とられたし

(大迫が)また一面やし

また、また、また、また 2ゴールやし

1ゴールにしとけばよかった

大迫うまいなあ、どうやったら大迫止められるんやろ?

あれは絶対 全日本に入るな!

 

(かこい)監督

あれはスゴかった 俺握手してもらったぞ

鹿児島城西を応援しよう

 

 

 

試合終了後、グランドで単に勝者が敗者をなぐさめるというようなことは他の国のサッカーでもよく見受けられることではある。又勝利監督が敗者をほめるということも通常のことである。

  しかし敗者が試合終了直後に泣きながらユーモアたっぷりと「大迫半端ないって」と真からの口惜しさと相手を称える言葉を発したことは、半端ない大迫のプレイ以上に大きな功績を日本サッカーとその文化に残したことになる。いや恐らくサッカーだけではなく日本人の精神に大きな文化、行動のスタイルを残したことであろう。当時の監督(かこい)も「あれはスゴかった、俺握手してもらったぞ」とユーモアたっぷりに言ったことは、大変な突っ込みで一流の漫才師もびっくりであろう。キャプテンと監督の見事なボケとツッコミと言うべきであろう。

  現在この発言はユーチューブの映像となり101万回以上再生されるところとなっており、事実今でも「……半端ないって」というせりふが、高校サッカーにおいてはもちろん日本のサッカー全体でも使われるようになっている。

もし他の異なった文明国で上記のようなことを言ったなら、やけっぱちのニヒリズムか、場合によっては気がふれたともとられかねないだろう。ユダヤ・キリスト教圏や儒教圏ではなおさらそうであろう。つまり文脈がずれているからである。反対に日本人は上記の言に共感することができる。即ち文脈がわかるからである。

  しかしサッカー人はもちろん文化・教養人たちでさえ、その共感の基礎的文脈を明確に理解しえていない。そのためこの中西発言は単なる柔軟さや精神的幅の広さという、現代マスコミ特有のポリティカル・コレクトネス(口当たりだけの正当さ)によって処理されることが多く、又単なる関西特有の自虐的ユーモア的な脈絡のうちにとらえられることが多く、その結果スター選手大迫の引き立て役のような役割だけを上記の言葉に与えてきたのである。

  しかし、実際には大迫選手のプレイ以上にこの「大迫半端ないって」という言葉の方が吾々日本人の胸に響いてくるのは何故であろうか。これはサッカー文化だけでなく、日本文明を考える上でも価値のあることなのである。

  思うに中西キャプテンと栫監督の言は日本文明の基礎に照らし合わせ解釈すれば、古事記にまで及ぶ正当な文脈を保持していることなのである。

  周知のように倭建命は小碓(おうす)と称していた。熊襲征討の時、策略、だまし討ちをして熊襲の首領熊襲建を殺害した。その時死の間際に熊襲建命は自己の建という名を与え小碓命にこれからは倭建命と名乗るようにと言ったという逸話である。

  又大国主命が根の国からスサノオの娘須世理姫を連れて竪琴をはじめとした財宝とともに、スサノオを欺いてこの世に逃げ帰った。つまり殺したりはしなかったがひどい目にあわせたのだ。しかしこの時、スサノオは口惜しさをにじませながらも、大国主に自分の娘を妻とし、その太刀と弓矢を授けて敵に当たることを言い祝福したのである。これら二つの古事記の神話は殺されたり騙されたりした側が憎悪したりせず、多少の口惜しさはあるにしても、勝者を祝福するという神話なのである。

  全国高校サッカー選手権大会準々決勝敗退というささやかな人生における限界状況において、キャプテンという立場から中西隆裕はあのような言説を一気に並べたのである。

  彼は相手の大迫選手のことを単に褒めたたえるためだけに言ったものでもなく、ましてや不満や無念をつらつら訴えるためだけに言ったものでもなく、とんでもない選手を相手に試合をやって敗北した自分達チームのために、大迫という選手を通じて、ないしは利用してサッカーというものを意図せずして象徴化したのである。しかもささやかな限界状況から出た言説は、はからずも神話となったのである。

  戦後70年以上経ち、ずいぶんと吾々日本人は変わったように思われるがアイデンティティーの基本において変わらないものがあるのだ。必要なことはそのことをもう少し意識的に認識しておかないと、中西隆裕キャプテンの言っていることの日本文明としての普遍性につき当たらないということなのである。

  中西隆裕キャプテンは大迫選手に負けないほど立派なのである。いやそれ以上に日本サッカーの歴史にとって大切な言葉を言い放ったのである。日本の文化としてのサッカーの成立に大きく貢献する大変な言葉だったと言ってよい。小生が前々から言っていることだが、文化としてのサッカーが隆盛しなければ日本のサッカーは強くならない。それは日本人としてのアイデンティティーにふれる事柄でもあるのだ。

 

 

 

 

後記 中西隆裕選手はその後関大のサッカー部へと進み実は小生の近くに居り何回も話をしたことがあるのだが、その中西君が例の発言をした中西だと知ったのは恥ずかしながらかなり後になってからだったのである。

 

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2017/12/15 (Fri) 平成30年2月1日(木)に、第29回『<屋繁男詩と歌曲を唄う>「日本抒情歌を唄う」』ライブを西荻窪の「音や金時」で行います

平成30年2月1日(木)に、第29回『<屋繁男詩と歌曲を唄う>「日本抒情歌を唄う」』ライブ西荻窪の「音や金時」で行います。
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2017/09/12 (Tue) 10月21日(土)に、第28回<屋繁男 詩と歌曲を唄う>ライブを西荻窪「奇聞屋」で行います。

10月21日(土)第28回<屋 繁男 詩と歌曲を唄う>ライブ東京・西荻窪のライブハウス「奇聞屋」で行います。
 ゲスト元横浜華銀理事長、元横浜台湾同郷会会長、滑空第一飛行第一戦隊、卒寿(90歳)の兵長「呉正男さんです。
縮小第28回 東京ライブ 2K チラシ 

出撃はついに来たらず空挺隊

              卒寿の老兵 思いを語る

               呉正男翁に 横浜中華街にて、真昼

                             平成2982日
                                
屋繁男


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2017/07/24 (Mon) 台湾の日本語世代(多桑)と和歌 ー蔡焜燦さんを悼む-

台湾の日本語世代(多桑)と和歌                                           -蔡焜燦さんを悼む-

                         平成29722
                             屋 繁男

 

西欧の詩歌では自然をテーマとしてもそれを材料にしてほとんど自分の心情を述べている。日本の詩、特に短歌では自然そのものを述べており、さらには自然の中に自己をひそませてしまっている場合が多い。これは主語や主体がはっきりしない日本文芸の代表として和歌を揶揄する「短歌第二文芸論」に集約される論点である。

しかし自然と人間が一体となっている世界、つまりある場合には人間が自然の中に埋没したり、ある場合にはそこから出現したり、自由自在なこの和歌という文学形式の本質を台湾の多桑世代はどこか直感的に知っていたように思われる。つまり日本アニメのドラエモンやポケモンと同じような属性が世界最小の語数による和歌、俳句という定型詩のうちにあることを見抜いていたと言えるだろう。さらに言えば諸々の挽歌、相聞歌のうちに生と死の垣根さえ越えて人と人とないしは人と自然とがふれ合えるような、それこそ他の文明にはない「力量」がこの和歌という短詩型文学の中にあることを直感していたと言ってもよい。

一つ二つ例を上げておくと、

 
駒とめて袖打ち払う陰もなし佐野のわたりの雪の夕暮れ 定家

山々ははるかに暮れて 小枝吹くひとすじの そよぎも見えず
タ鳥の唄木立に消えぬ あわれはやわが身も憩わん 
                  
ゲーテ 旅人の夜の歌

 

一番目の定家の有名な歌は、雪の風景の中に人物と馬が溶け込んで風景全体が穏やかに納まっていると吾々なら誰もが納得するであろう。もし西欧的文学の伝統から言えば人間が風景の中に溶け込んでおり、ヒューマニズム(人間中心主義)の立場からすればあまり面白くないとも言えるであろう。

 

二番目は有名なゲーテの詩を大山定一が訳したものである。我々が日本語訳で読むと主人公が実にうまく夕暮れの景色の中に納まり安住しているように見える。しかし先程の定家の歌とは違って独文では、恐らく自然の中に納まりきれない主人公の自己が、やはり大きく居座っているはずであろう。我々は大山定一の名訳の日本語でこれを鑑賞しているので、和歌の伝統にそって理解してしまうのだ。

さて戻りますが、この自然の中に納まったり消えたり、またそこから突出したりする文芸的テクニックが、和歌の中にあることを、そしてそのことが人間を幸福にする一つの手段であることを台湾の多桑世代の歌人たちはよく知っているように思われます。

また、時間の流れというものも自然の大きな一部とすれば、死というものもその最たる結果に外なりません。日本では一番の幸せは何かと聞かれれば「親が死に子が死に孫が死に」であり、逆縁、つまり子や孫が先立つことが一番の不幸だと小生の母親が言ったことがありますが、我々はこのように自然(死)とも付き合える感性を持ち続けてきたのです。

さらに言えば、「死に関して独特の考え」を持っており日本人とその文化と文明が世界的な趨勢ニヒリズムとの闘いに独自の拠点として今もあることを多桑世代の方々は知っているはずである。

先の大戦時に日本人と台湾の多桑たちは死に際して、ニヒリズムを克服する独特の手法を共有したことであろうことはほぼ間違いないでしょう。その一つの方法が短歌という方法であったことは間違いないでしょう。

だからこそ蔡焜燦さんは日本人(日本語族、日本文明人)よ胸を張れと言ったのです。

呉建堂さん、蕭翔文さん、王冬梅(進益)さんそして蔡焜燦さん、彼らから小生は日本精神はもちろん日本文明を学ばせていただきました。

ありがとうございました。多謝多謝

 

最後にエピソードを一つ。十五年以上も前、八重山は石垣島での三線コンクールに、娘のステージパパとして付き合ってついでに与那国島に足を伸ばしたことがあった。その時、年に数度しか見えない台湾が海の彼方によく見えた。うれしくなって、携帯電話の国際電話というものを初めて使って蔡焜燦さんや王冬梅さんらに電話をした。玉山がきれいに見えることを伝えると、今すぐ来いと言う。それは無理だと答えると、小生が阿里山あたりにいると考えて、今夜か明日には会えるだろうとおっしゃった。やはりそれも無理で今与那国島から台湾と玉山を眺めているのだと言った時の彼らの反応は今も忘れられない。「台湾は玉山島と言ってもいい大きな大きな島にみえるんだよ」と言うと「そうか、そうか」と何度もおっしゃり、このハイテクの時代に万葉の相聞のやりとりのごとき感慨にひたったことでありました。

 

バスの中へ吾をたずねて一直線

      我らが老台北 多謝多謝

 

        与那国の海の彼方に立ちませる

     かの玉山を吾娘(あこ)と見し夏

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2017/07/22 (Sat) 蔡焜燦翁を悼む

蔡焜燦翁を悼む
バスの中へ吾をたずねて一直線
    我らが老台北多謝多謝

                   平成29年7月18日 屋 繁男

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