2013/12/28 (Sat) 風景に願いを詠む

            風景に願いを詠む
―三番目の歌碑を神戸に建てるに当って―
                        屋 繁男

1、山のある風景の大切さ    
  現在小生は東京郊外の代表的な場所に住んでいる。そこはよく知られた恩賜公園があり、都会としてはかなり広い森があることで知られており、小生も朝柴犬のゴンを連れて散歩をしている。又、多摩地域最大の繁華街の中に、多摩地域最大の本屋と銘うった書店等もあるのでいろいろと便利なのだ。他所に出て帰ってきた朝、森の中の風景を眺めていると落ち着いた気分になる。
  つまり、小生が今ここに住んでいるのは多摩地域最大の繁華街の中に最大の本屋があることと、森があるからなのである。住んでからもう四半世紀にもなるから当然愛着もある。しかし何か物足りなさが残る。森へと至る道沿いに玉川上水がある。今その道は「風の散歩道」という洒落た名前になっているのだが、例の太宰治が入水心中したところだ。つまり彼が流されて行ったと同じ方向に小生は朝、犬を連れて散歩しているということになる。又森の中では縄文期の遺跡もわずかにあるのだが、有史以来の物語がほとんどないと言ってよい。せいぜい明治期に国木田独歩が歩き回ったこともあることを思い出す程度なのだ。
 これを要するに現在、日本で最も住みたい場所№1の街と言われて久しいのだが、ここには蓄積された歴史とそれに裏付けられたところの圧倒的な風景が存在していないのだと言ってよい。
 その昔に柿本人麻呂が西国から大和へ戻って来る時明石海峡から次のような歌を詠んでいる。「天ざかる 鄙の長路ゆ 恋ひ来れば 明石の門より 大和島見ゆ」。その時の大和島とは大和島根、つまり生駒山のことである。人麻呂が当時都であり且主たる生活の場所でもある大和へと戻って来たことを喜んで詠んだ歌とされ有名な歌である。しかしここで詠まれているのは単にそのようなことだけではなく、明石の戸、つまり海峡から見える大和島根=生駒山の歴史の蓄積を背景にした圧倒的な風景に感動した心象なのである。近年でも司馬遼太郎が生駒の一番よく見える場所ということで現在の東大阪市八戸ノ里に住居を定めたのも、この山の圧倒的な存在感をよく知っていたからに他ならない。
 さらに言えば高村光太郎が智恵子抄において妻である智恵子が東京には空がない福島は安達太良山の向こうにある空が本当の空だと病んだ智恵子が言っていると詩にしているが、この場合、安達太良山に該当するような山がないから東京には空がないと言っているのだ。つまり空がないのではなく、彼女が依拠する、心の支えとする山がないと言っているのだ。この話は日本人の精神性において山がどれ程大切なものなのかを教えてくれるであろう。小生は今、人麻呂や司馬遼太郎、さらには智恵子抄を持ち出してまで山の大切さを述べているのだが、東京には山がないという問題は我々が思っている以上に深刻な問題であるかもしれない


2、小さな願いのための風景 
   
話は変わるが、最近小生の三番目の歌碑が神戸に建つことになった。六甲山の真下にあるその神社は現在では住宅街の中に取り込まれてしまっているが、戦前ならば大阪湾対岸の生駒、葛城、金剛の山脈がきれいに臨められたことであっただろうと思う。確か一昨年前の真夏、神戸で連日コンファレンスがあった時、六甲山頂のホテルに泊まっては日中街に降りたのだが、ホテルのベランダから夕暮れの中、対岸に見える連山の風景は圧巻であった。特に生駒山の姿は大和島根と呼ぶにふさわしい神々しいものであった。
 この風景は小生に限らず日本人すべてにとってのアイデンテイティとも言える文化的背景を象徴するものだと今も言えそうである。したがって歌詠みである小生は六甲から生駒、葛城へと続く風景を詠んでおく必要があったのである。
  もとより、この大和世界は小生が育った世界であるがため、より愛着が深いのは仕方がない。又今回の和歌は小生の初の孫娘が大阪湾岸の尼崎において誕生した喜びから生まれたという私的な事情も加味されて当然であろう。
  しかし、小生がこの場所に孫娘のことを詠んだ歌碑を建てることに同意した私的な理由は上記のもの以外にある。何を隠そう小生は孫娘にサッカーをやらせたいからなのである。阪急は御影駅近くにあるこの神社は、今ではなでしこ日本の主力であるINAC神戸の必勝祈願神社であるが、古くは御影師範という、日本サッカーを牽引したチームが近くにあったことはサッカーのオールドフアンなら記憶にあることであろう。
    小生の書いたものを見ていただいている方ならご存知だろう。小生は「サッカーの思想」のようなものを書き、且サッカーのことをたくさん歌にしているのである。そこで今回、歌碑の除幕式に関大サッカー部の女子部員十人程に除幕をしたり応援歌を唄ってもらったりして、セレモニーを盛り上げていただいたのである。日本サッカーのルーツチームの一つで、日本最初の赤と白のユニフォームで闘い続けているこのチームに対して、小生は究極の故郷に対する思いのようなものを持ち続けているのである。
  そして、この孫娘があわよくば関大サッカー部女子部選手やマネージャーにでもなれば、「我願いつきん」ということなのである。
 なお小生の短歌は以下のようなものである。

生れまししゆかちゃんの笑み拡ごりて   
                     うりずんの風やまとにも吹く





歌碑 表 弓弦羽神社

ゆか 弓弦羽神社

集合写真 弓弦羽神社

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