FC2ブログ
2019/06/06 (Thu) 屋 繁男 「石見の海、なびけこの山」 柿本人麻呂(万葉集131+2番) バイオリン 大原敏生

屋繁男「石見の海、なびけこの山」 柿本人麻呂(万葉集131+2番)
バイオリン 大原敏生 サロード 平川麦





スポンサーサイト



未分類 | trackback(0) | comment(0) |


2019/06/06 (Thu) 柿本人麻呂「石見の海、なびけこの山」(万葉集131+2番)を唄う -人麻呂のコード(言霊)に触れる

柿本人麻呂「石見の海、なびけこの山」(万葉集1312番)を唄う

-人麻呂のコード(言霊)に触れる-
                                                                    令和元年65
                                                                             屋 繁男


<歌を忘れたカナリヤ日本人>

日本人が歌を唄うのを忘れたカナリヤになったと言われてから久しい。かっての童謡、唱歌等を中心にした抒情歌はもちろんかってのフォークソングやニューミュージックと呼ばれる歌等も全く歌われなくなった。ただ歌謡曲だけがテレビの力をかりて、わずかに命脈をたもっているという現状である。

そこである人々は近代明治以降の日本人の心の故郷といわれる童謡や唱歌を再評価して、日本人を再度唄うカナリヤにせんと努力しておられる方々もおられる。さらには中世や古代の日本人が唄っていたであろうと思われる歌を求め発見し、現代によみがえらせてみようと試みる人々もおられる。

思うに、我々日本人は固有の古代を持っており、万葉集の歌はあちこちにも歌碑があり現代人も詩的世界を共有している。そこで、万葉集の歌を現実に唄うという試みが以前から行われて来ているのである。

しかし、従来万葉集を唄うという試みはほとんど西洋音楽のスタイルないし枠組みの内に行われているため、めずらしさはあっても、日本人としては感性的にはほとんどなじめないものとなっている。これは戦前では、まだ半々としてあった日本音楽と西洋音楽が戦後西洋一辺倒になってしまったために外ならない。従って万葉集を何とか歌曲として唄っている日本人(ほとんどが女性歌手)たちの努力を裏切っている状況だと言わねばならない。中にはオペラ形式等で面白い試みはあるのだが、日本人のなじまない西洋音階の下に無理やり取り込もうとする点に無理があるのであろう。

 

<万葉集と奄美、八重山の島唄>

ところで歌人、詩人、さらには古代上代文学研究者等がよく万葉集的な唄に出会うために南西諸島、特に奄美、八重山方面に赴き、そこの島唄を聞き感動したという話は聞いている。しかし彼らが奄美、島の島唄に感動してもそれにヒントを得て万葉集、特に長歌を作曲し一定の広まりをみせたという話は聞かない。確かに万葉集を歌曲にするには奄美や八重山の島唄にヒントがあるとする彼等の直感は正しかったのであろうが、先ほども述べた戦後の音楽状況とも合わせてその目的をやりきるパワーもなかったと言えるであろう。

又現在の奄美や八重山の側にも万葉集を島唄に引き付けて島唄の伝統とテクニックを生かして唄おうとする唄者もいなかったのである。さらに奄美にも歌人や詩人もいるであろうが、万葉の歌、特に長歌に曲をつけてみるという発想もなかったであろう。

ところで、人麻呂の短歌に「天離るひなの長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ(3255番)」の有名な一首がある。この大和島というのは河内と大和(奈良)との間にある生駒山のことである。古代人飛鳥や奈良の人々にとっては大和島根である生駒山を仰ぎ見る世界が一つの小宇宙であり、島世界であったはずである。そこで、奄美や八重山に島唄があるように大和(本土)にも島唄があるに違いない、いやなければならないと小生は考えたのだ。小生は大和(本州、九州、四国、北海道)の島唄を作ろうとしていたのだ。

さて小生は二十年来奄美や沖縄や八重山の唄者らと競うことを目的として歌合せならぬ歌合戦を行ってきた。一人は、奄美島一番の唄者であり、一人は沖縄県の無形文化財である。島唄対日本抒情歌の対決ということであるが、今思えばずいぶん思い切ったことをしたものである。しかし小生の直感と実践は間違ってはいなかったのである。

彼等島唄の大家から自然と学んである程度の島唄を唄うことができるようになっている。そしてこのように彼等から得たものと、幼少から聞かされてきた歌謡曲や浪曲(ただし小生ら団塊の世代が聞いた浪曲は、元浪曲師が漫才師になって漫才の中での小時間のさわりだけのものであったが)がここにきて役に立ったと言えるであろう。さらには中高生頃に何度か行った朝日座での文楽もある程度、役には立ったであろう。当時栄光の浪速五座からはかなり離れて道頓堀とはいいながら日本橋筋からすぐの所にあった。曾根崎心中や女殺し油の地獄等の演目には感服し驚かされた。すでに戦後二十年、日本人の伝統的歌謡の何が失われつつあるかを如実に感じさせられた。

 

<人麻呂の言霊の力により唄う>

これら上述の歌の諸々の方法をすべて「石見の海、なびけこの山」(万葉集1312番)に投入することができたことは古希を二つ越えた身としては実に幸せなことというべきであろう。小生の歌い手としての人生はこのことをなすためにあったと言っても言い過ぎではない。

人麻呂の歌を吾々は日本人の心の底の文化遺産だとは思っていることは確かである。まして歌人はそうである。しかし歌人でさえもわかったような気持ちになって、彼の1400年前の作品をいわば休眠化した記号にしてしまってはならない。そこから多少強引にでもコードを引っ張り出し少し弾いてみる必要があるであろう。

この試みを始めた当初、相方のバイオリニストは半年はかかるであろうと言っていたし、小生も当分は駄目だとおもった。しかし、恐いもの知らずの精神と猛練習のおかげで思ったよりは早くとりあえずの完成に至った。嬉しかったものだから奄美や八重山の島唄や日本抒情歌の世界を彷徨した小生の歌唱力のなしたことだと少しは自惚れてはみた。まして小生は歌人である。しかし、そうではなく、人麻呂の「石見の海、なびけこの山」(万葉集1312番)の力そのものであることを思い知らされた。今も日本人は彼以上の詩人を持ち得ていない。柿本人麻呂は今も日本一の歌人であり詩人であることがよくわかった。小生は、彼の和歌の持つ言霊の力によって歌わされたのだと言ってよい。

未分類 | trackback(0) | comment(0) |


| TOP |

プロフィール

shiropapa1111

Author:shiropapa1111
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード