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2019/02/27 (Wed) 「壊れたはずのオルゴール」(Ye Banks and Braes・ドゥーン川のほとり)を作詞し且これを唄うに当たって

「壊れたはずのオルゴール」(Ye Banks and Braes・ドゥーン川のほとり)を作詞し且これを唄うに当たって

平成31223

屋 繁男

 

スコットランドの国民的詩人ロバート・バーンズは英国のシェイクスピアに対比される詩人である。彼の詩「わが心高原に」に触発された国木田独歩は武蔵野に住み、都市化される大都会への思想的抵抗を策した。それが作品「武蔵野」である。

小生は高校生の頃この詩「わが心高原に」を読み感動した。暗唱できるまでになっていた。恐らくバーンズの大都会やさてはイングランドに対する対抗心があったのであろうが、スコットランドのハイランド地方である故郷へのひたむきな思いが、実によく現れておりそれが人々の気持ちになじんだのであろう。また小生の読んだ翻訳は実によく日本語の韻もうまくこなしており、もう一度暗記してみたいものだと思っている。

「わが心高原に」は、次のような詩である。

「我が心高原に 我が心ここにあらず

 我が心高原に 野鹿追いつつ

 我が心高原に いずくにありても

       中略

 さようなら豁流(こくりゅう)よ さようなら音高く流れる水よ」

高校生の小生や恐らくは独歩も「我が心高原に いずくにありても」「さようなら豁流よ さようなら音高く流れる水よ」という節あたりに心を奪われたものと思われる。

さて彼の詩作品に「ドゥーン川の岸辺」というタイトルの詩がある。これも彼の作品の「蛍の光」や「故郷の空」と同様に学校唱歌にあるらしいのだが、今述べたこの二つの歌に比べ知る人は少ない。日本語の訳では「思いいずれば」というタイトルの歌になっている。それは、万葉集の防人の歌にある和歌から取った歌である。「父母が 頭かき撫で 幸くあれて 言ひし言葉ぜ 忘れかねつる」(巻204346)から取ったのであろう。あまり歌われることもなかった。端的に言えば「蛍の光」や「故郷の空」等に比べると日本語の歌詞が完全に負けているのである。前二者の歌に比べるとディープな情念を感じさせるメロディであるため、万葉の歌に範を取ったまではいいのだが、2~3年会わなかった親に会うことを防人とパラレルに考えることにやや無理があろう。現代よりもはるかに血縁地縁の濃かった明治時代においても人々はそのことに気付いており、そこにこの歌が他の「故郷の空」「蛍の光」のように当時の人々が唄うことはなかった理由の一つであるのであろう。念のため「思いいずれば」の歌詞は以下のとおりである。

「1、思い出ずれば、三年のむかし、わかれしその日、わが父母の、頭なでつつ、まさきくあれと、言いしおもわの、慕わしきかな

中略
 4、あしたになれば、門おし開き、夕べになれば、床うち払い、父待ちまさん、母待ちまさん、早く帰らん、もとの国べに」

またメロディ自体は大変魅力的であるが、メロディと日本語の歌詞があまりうまく対応しているとは言えず、多くの人が歌うには歌いづらいものになっている。そのため、バイオリン、チェロ、ギター等で演奏する人はいても、歌う人は少ない。

そこで小生がこの曲に新たな日本語の詩を付けることにしたのである。きっかけは昨年末のインド・ナーガランド旅行の帰り際に立ち寄ったコルカタのレストランで、その去り際にこの曲が店内に流れたのであった。しかもガイドに聞くとこれはベンガルミュージックだということであった。確かにインド化と言おうか、南方化と言おうか、その影響を受け変化したメロディになってはいたが、これは明らかにスコットランドの民謡で、バーンズの「ドゥーン川のほとり」に違いなかった。

恐らくはイギリスのインド統治時代に、スコットランドから来た人が唄ったものをインドの現地の人々が唄い、このように変化し、ベンガルミュージックの中に取り入れ自分たちのものとしたのである。原曲よりも、より深い響きと感動を与えるものとなっている。一方「思いいずれば」という歌詞をつけた日本人はこの曲、このメロディを自己のものとすることが出来なかったのであろう。

国木田独歩がロバート・バーンズの詩に触発されてから100年以上は経っているであろう。当時と違って今や武蔵野は独歩が大都会への対抗の基盤としようとした当時の力(自然主義文学)の面影はない。大都会の住人の休養の場としての側面が評価されているだけだと言えるであろう。しかし、今武蔵野近辺に住む小生がこの曲に新たな日本語の詩を作るのも、何かの縁かもしれない。孫たちや、愛する柴犬のゴンの動きから得た着想もあるが、武蔵野の林が我々に与えてくれる恩恵は今もなおあるのだということがこの詩を読む人、また小生の唄う歌曲「壊れたはずのオルゴール」に感じ取っていただければ幸いである。

 

<壊れたはずのオルゴール>

─やわらかなり歳月─

作詞 屋繁男

 

1.懐かしのオルゴール 壊れたはずなのに 

突然に鳴りだし 息をひそめて

のぞき込む二才の いたずらな少年

やわらかなり歳月 時はまた流れる

 

2.古希もすぎ行き うれしき驚き

 亡き母のうつし絵 吾孫娘

 かの瞳もて 吾をば見つめる

 やわらかなり歳月 時はまた流れる

 

3.朝もやの武蔵野の 林の中を

 柴犬のゴンをつれ ゆるやかに歩む

 すれ違う人らの 慎ましき微笑

やわらかなり歳月 時はまた流れる


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